ダンスを通じて「生きる力」を伝える
入会待ちが出るほど大人気の、チアダンスや新体操を教えるスクールの先生。それが越田歩さんです。元気かつ愛情あふれる指導で、2歳から大人まで多くの人を魅了しています。ルーツと、自分を支えている想いについて、うかがいました。
越田歩さん
生駒市に拠点をもち、チアダンスや新体操を教えるスクール「STYLEY(スタイリー)」などを経営する『株式会社ギフト』代表取締役。大阪府生まれで、小学1年から生駒市に住む。愛称は「アミ先生」。生駒市のほか、大阪府や京都府、東京都でもクラスを持ち、生徒数は計約600名。クラスで編成された複数のチームが全国大会や国際大会に出場している。
人は、自分の成長に喜びを得るもの
「教える」ことはいつから始めたのですか?
高校生です。わたしは高校生のときに新体操を始めたのですが、チームの練習はとても厳しく、理不尽なこともあり、拒食症になってしまいました。そんなとき練習でチームメイトを応援する側へまわり「できるできるできる!」と声を張り上げていたら、見学に来ていた大阪のある高校の先生が「あなたは指導者に向いている。うちに来なさい」と声をかけてくれたんです。思いがけない展開に驚きましたね。高校2年の終わり頃のことでした。
そこから先生の補佐になりました。昼間は学校に通って、夜は大阪まで教えに行く生活です。新体操に挫折していたわたしに「指導者が向いている」と生きる意味を教えてくれた先生の役に立ちたい、と思っていました。2年目にそのチームが初めて全国大会への切符を手にしたとき、「いつもありがとう」と先生に言われ「人に喜んでもらえるって、こんなにうれしくなるものなんだ!」と感激し、ますます指導にのめり込んでいきました。
その後も「教える」ことを?
早くに結婚したのですが、20歳で離婚しました。21歳で出産後、『コナミスポーツクラブ』でパーソナルトレーナーを始めたんです。売上に貢献しても給料は変わらないのに、お客さんが喜んでくれるのがうれしくて「わたしはあなた以上にあなたのことを応援します!」と一生懸命働きました。
店のトレーナーのなかで売上が一番になったとき、お客さんの変化を通じて一つ発見がありました。「人は何歳になっても、自分が成長することに喜びを得るんだ」と。これは今も、わたしの指導のベースになっています。「自分はできていない」と思うより「今日できた!」と自信を持てるほうがいい。その「できた」で自分の成長を認められるし、成功体験が未来をつくっていきます。『コナミスポーツクラブ』で4、5年働きました。今も当時の支配人さんと親しくしていて、数店舗でレッスンを持たせていただいています。
起業して、人に任せることを身に付けた
チアリーディングの活動を始めたのは?
その後の2010年です。当時、子どもを生駒市内の幼稚園に通わせていて、子どもたちを喜ばせるためにママのチアサークルを始めることになり、公園で練習しました(笑)。その仲間から「教えるの上手」「踊っていて楽しい」などと言われて。人に何かを伝えるのが好きだから、自分が一番楽しんでいたんですよね。さらに、子どもたちに新体操とチアダンスを教えるスクール「STYLEY」も始め、それをメインの個人事業として広げていきました。
起業したのは2015年です。ダンスなどスポーツの世界の仕事って、多くはそれだけでは食べていけません。でも、社会的価値を上げてプロとしてそれだけで食べていける文化をつくりたい。そう考え、『株式会社ギフト』を立ち上げました。例えわたしが死んでも、100年以上続く会社にしたいと思っています。ちなみに、現在のスタッフは20名で、そのうち正社員は3名です。
起業後、指導面で変化がありました。私自身がスパルタ方針で育ってきたので、以前は子どもたちにそういう指導をしていたんです。親御さんたちの期待に応えたいとか、全国大会に連れていきたいとか、私自身に欲があったと思います。でも、そうすると(子どもたちが)本番に弱くなってしまうんです。
わたしは「生きる力」を伝えているだけ
それをどう乗り越えていったんですか?
転機は、2016年9月です。わたしは再婚してさらに子宝に恵まれ、当時4人目の赤ちゃんをお腹に宿していました。でも、その娘が亡くなってしまったんです。あまりの悲しさ、喪失感に、生きる気力をなくしてしまって、言葉も涙も出ませんでした。葬式後も自宅に引きこもって寝込み、打ちひしがれていたんです。
そんなわたしを気遣って、子どもたちがこっそり我が家の前に集まってくれました。そして、みんなで外から「アミせんせいー!」と叫んでくれたんです。「大好き」「会いたいです」などとメッセージを書いたものもプレゼントしてくれました。あのときわたしは、子どもたちに自分の価値を教えてもらって…、人は求められると家の外に出れるという経験をさせてもらい、復帰できました。
娘の死によって、子どもたちにいろいろなことを求めていたと気づかされました。人は期待されると「それに応えなきゃ」と思ってしまうけれど、信じてもらえれば自分の力を発揮できる。そこで自主性を重んじる方法に大きく変えたんです。ミーティングも練習内容も目標も、自分たちで決めてもらっています。わたしは「生きる力」について伝えているだけ。「今、○○ちゃんに『がんばれ、できる』って声をかけたのはすてきだよ」「一人じゃないよ」といった声かけばかりです。
今後の夢はありますか?
二つあります。大好きな生駒で幼稚園を開くこと。子どもの最初の教育で「生きる力」を伝えていきたいからです。生駒で育児や仕事のことでたくさん助けてもらったし、生駒の人が好きですね。近所にある宝山寺の空気感も好き。生駒にいるからこそ、元気になれます。
もう一つは、障害者のための活動をすること。実は、母が身体障害者なんです。幼い頃は母を見て笑う人がいることが悔しかったのですが、母は明るくたくましく生きていて、大きな影響を受けて育ちました。いつか障害者がチアリーディングを踊る「パラチア」で、本人はもちろん、その家族をも元気づけられたら、と。2020年、兵庫県のプロバスケットボールチーム「西宮ストークス」のチアリーダーズのディレクターに就任しました。これが「パラチア」の夢に近づく一歩にもなったのかなと。いつか生駒でも何らかの形で必ず実現したいと思っています。
(2020.12.24)
いいサイクルはじめよう、いこまではじめよう
いいサイクルはじめよう、
いこまではじめよう